カンボジアは、その壮大な歴史と独特の文化で知られています。

この美しい国は、世界遺産として認められた驚異的な遺跡を数多く持っており、それらはカンボジアの豊かな過去と文化を称えています。

特に、アンコール遺跡群は世界中から観光客を引き寄せ、カンボジアの美しさと古代の遺産を体験することができます。

1. はじめに

遺跡を歩く女性

UNESCOの世界遺産は、人類共通の価値を持つ、文化的または自然的な遺産として選ばれます。

それは、カンボジアの世界遺産がその基準を満たし、世界の人々にとって、価値ある遺産と認められている証ではないでしょうか。

特に、アンコール遺跡群は、その壮大な規模と精緻な彫刻、そして歴史的重要性によって、1992年にUNESCOの世界遺産として認定されました。

カンボジアの他の世界遺産も、それぞれが独自の歴史的背景と文化的重要性を持ち、カンボジアの多様な文化遺産を表現しています。

これらの遺産は、カンボジアの歴史と文化、そして人類の共通の遺産として、国際的な認知と尊重を受けています。

2. アンコール遺跡群

アンコール遺跡群

2-1. 基本情報

  • 世界遺産登録年 : 1992年
  • 場所 : シェムリアップ省
  • 建造 : 12世紀前半
  • 建造した人 : クメール王スーリヤヴァルマン2世

アンコール遺跡群は、東南アジアで最も重要な考古学的遺跡の一つです。

この広大な地域には、クメール帝国の歴史を物語るさまざまな都市の遺跡が残っています。

これらの遺跡は、9世紀から15世紀にかけての時代に建てられたもので、その壮麗さと多様さに驚かされます。

この遺跡群は、カンボジアのシェムリアップ市の北に位置し、その広大な敷地内には、アンコールワット、アンコールトム、バイヨン寺院など、多くの寺院と宮殿が点在しています。

ここで最も有名なのはアンコールワットで、その壮大な規模と精緻な彫刻で世界中の観光客を魅了しています。

クリックまたはタップで遺跡内を探索できます。

2-2. 歴史的背景

アンコール遺跡群の歴史は、9世紀のクメール帝国の創始にまで遡ります。

この時代、クメール王ヤショーヴァルマン1世は、首都をローリヴァッタナプラ(現在のローリヴァット)からアンコールに移し、アンコールの発展の礎を築きました。

アンコール遺跡の歴史イラスト

以降、アンコールはクメール帝国の政治、宗教、文化の中心地として栄え、多くの壮大な寺院や宮殿が建設されました。

アンコールワットは、クメール王スーリヤヴァルマン2世によって、12世紀初頭に建設されました。

当初はヒンドゥー教の寺院として建設されたアンコールワットは、後の時代に仏教の寺院としても利用されるようになりました。

アンコールワットが西の方角を向いていることは、死者の霊を象徴しており、これはスーリヤヴァルマン2世が、自身の霊廟として建設したことを示唆しています。

アンコールワットのイラスト

しかし、クメール帝国は13世紀以降に衰退し始め、14世紀から15世紀にかけて、タイ王国(シャム)や、チャム王国(現在のベトナム中部)などの周辺国家との戦争に苦しめられました。(1431年にはシャム軍によってアンコールが陥落)

その後、アンコール遺跡群は、ジャングルに覆われて忘れ去られていましたが、1860年にフランス人探検家アンリ・ムオが再発見しました。

森に隠れている遺跡のイラスト

1887年カンボジアは、フランス領インドシナに組み込まれ、フランス極東学院によって、アンコール遺跡群の調査や修復が行われました。

1970年代から1980年代にかけてのカンボジアは、内戦やポル・ポト政権などの混乱に見舞われましたが、1991年にパリ和平協定が結ばれてから再び、復興・繁栄の道を歩んでいます。

1992年、アンコール遺跡群が世界遺産(危機遺産)に登録され、多くの国際機関やNGOが修復や保護活動に参加しました。(2004年には危機遺産の登録が解除)

修復中のアンコール遺跡

現在アンコール遺跡群は、カンボジア最大の観光資源となっており、年間約280万人もの観光客が訪れています。

しかし、観光客や地元住民の影響、自然災害などで遺跡群は依然として危機にさらされており、その保存や管理には多くの課題が残っています。

2-3. アンコールトムと寺院群の特徴

アンコールトム

アンコールトムは、クメール王ジャヤヴァルマン7世によって12世紀後半に建設され、バイヨン寺院を中心とする壮大な寺院群が広がっています。

とくに、バイヨン寺院の特徴的な多面の塔は、クメール帝国の芸術と建築の精妙さを示しています。

アンコール遺跡群は、クメール帝国の異なる時期の首都の遺跡を保存しており、その壮観な建築と精緻な彫刻は今でも訪れる人々に深い印象を与えています。

寺院群は、クメール王朝の王や神々を称えるために建てられ、それぞれが独自の歴史的背景と伝説を持っています。

例えば、アンコールワットの壁画には、ヒンドゥー教の神話や歴史的な戦闘のシーンが描かれており、訪れる人々にクメール帝国の歴史と文化を伝えています。

2-4. アクセス方法

アンコール遺跡群へのアクセスはシェムリアップ市から可能で、通常はタクシーやトゥクトゥク(オートリキシャ)、またはツアーバスを利用して訪れます。

また、チケットはオンラインで事前に購入することも可能で、これにより遺跡群入場の手続きをスムーズに行うことができます。現地で買われる方は2-5の地図を参考にしてください。

2-5. 営業時間とチケット料金

アンコール遺跡群は午前5時から午後7時まで開園しており、入場料は選んだパス(当日~7日)の種類によって異なります。※2023年10月30日の為替相場1ドル150円

チケットの種類価格 (US$)価格 (JPY)有効期間
1日パス$375,550円1日
3日パス$629,300円発行日から10日間有効
7日パス$7210,800円発行日から1ヶ月間有効

2-6. チケット販売所の場所

アンコール遺跡のチケット販売所は、シェムリアップ市内から北東へ約4-5kmの場所にあります。

営業時間は5時00分から17時30分までで、12歳未満のお子さんは、チケット入場料が無料です。

↑のストリートビューが販売所となります。

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3. プレアヴィヒア寺院(Temple of Preah Vihear)

プレアヴィヒア寺院

3-1. 基本情報

  • 世界遺産登録年 : 2008年​
  • 場所 : プレアヴィヒア州, カンボジア
  • 建造 : 9世紀末, 11世紀に増築
  • 建造した人 : 不明

プレアヴィヒア寺院は、ただのヒンドゥー教の寺院ではありません。この神秘的な場所は、カンボジアのプレアヴィヒア州にひっそりと佇んでいます。

9世紀末にクメール人の手によって創られ、11世紀にはさらに壮大な規模へと拡張されました。

でも、その最大の魅力は何でしょうか?それは、ダンレク山地の海抜625メートルの断崖絶壁に建てられていることです。

その眺めは、まさに息をのむような美しさで、そこから一望できるカンボジアの大地は、まるで絵画のような神々しい色彩を放っています。

2008年には世界文化遺産にも登録されましたが、タイとの国境紛争が影を落としています。そのため、観光客は少なく、まさに「秘境」と呼ぶにふさわしい場所です。

観光客が少ないからこそ、静寂と神秘性が高まり、訪れた者に深い感動を与えてくれます。

この寺院は、歴史、自然、そして神秘性が三位一体となった、まさに夢のような場所。

「生きているうちに一度は訪れてみたい」、それがプレアヴィヒア寺院です。

3-2. 歴史的背景

プレアヴィヒア寺院は、クメール王朝の時代に、シヴァ神を祀る寺院として創建されました。

現存する建物のほとんどは、11世紀前半のスーリヤヴァルマン1世と、12世紀前半のスーリヤヴァルマン2世の頃に増築されたもので、様々な建築様式が見られます。

プレアヴィヒア寺院は、南北軸に沿って建てられており、北側以外は断崖絶壁に囲まれています。

プレアヴィヒア寺院のイラスト

これは、ヒンドゥー教の世界観における世界の中心である、須弥山(しゅみせん)を模したものと考えられています。

また、プレアヴィヒア寺院は、カンボジアとタイの間で長年にわたって領有権をめぐる争いが続いてきました。

1962年に国際司法裁判所は、カンボジア領であると判決しましたが、遺跡周辺の一部地域はどこの国のものか決まっていない状態でした。

プレアヴィヒア寺院紛争のイラスト

2008年にプレアヴィヒア寺院が世界遺産に登録されたことで紛争が再燃し、武力衝突が起きました。

そして、2013年に国際司法裁判所は、遺跡周辺の土地もカンボジア領であると再判決し、領土問題はようやく決着しました。

3-3. アクセス方法

プレアヴィヒア寺院へは、カンボジア側からしか立ち入ることができません。

行き方は、シェムリアップから車で約4時間、プレアヴィヒア州のサーラ・クラウェイ村まで行きます。

そこからピックアップトラックや、バイクタクシーに乗り換えて山頂まで登ります。

道路は舗装されていますが、急勾配やカーブが多く、乗り心地はよくないです。

山頂までは約30分かかります

3-4. 営業時間とチケット料金

プレアヴィヒア寺院は、毎日7時から17時まで開放されています。

チケット料金は10ドル、山麓の観光管理所で購入する必要があります。

その際、パスポートの提示が必要です。

チケットの種類価格 (US$)価格 (JPY)営業時間
1日パス$10約1,500円午前7時から午後5時

3-5. チケット販売所の場所

チケット販売所は、サーラ・クラウェイ村から山頂へ向かう道路沿いにあります。

ピックアップトラックやバイクタクシーの運転手が案内してくれます。また、チケット販売所の場所は、こちらの地図で確認できます。

↑のストリートビューが販売所になります。

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4. サンボールプレイクック(Sambor Prei Kuk)

サンボールプレイクック

4-1. 基本情報

  • 世界遺産登録年 : 2017年
  • 場所 : コンポントム州
  • 建造 : 7世紀
  • 建造した人 : イーシャーナヴァルマン1世

サンボールプレイクックは、カンボジアのコンポントム州にある古代遺跡群です。2017年に世界遺産に登録されました。

クメール語で「森の寺院」という意味で、7世紀に真臘王国の首都イーシャーナプラとして建設されたものです。

煉瓦や砂岩で造られた祠堂や塔堂、獅子や空中宮殿などの彫刻が見られます。

また、アンコール王朝の前身となる文化遺産としても、たいへん重要なものです。

4-2. 歴史的背景

サンボールプレイクックは、6世紀から9世紀にかけて繁栄した真臘王国の時代に造られ、この王国はインド文化の影響を強く受けたヒンドゥー教の国家でした。

インドの影響を受けたイラスト

当時、真臘王国は現在のカンボジア、タイ、ラオスにまたがる広大な領土を有しており、特に世紀初頭に登場したイーシャーナヴァルマン1世は、首都をイーシャーナプラに移し、この都市をシヴァ神を祀る中心地として築き上げました。

サンボールプレイクックの寺院群は、そのイーシャーナプラの核心部に位置しています。

その後、イーシャーナヴァルマン1世の治世下で、真臘王国は最盛期を迎えましたが、その後は内紛や外敵の侵入によって衰退していきました。

この衰退後、ジャヤーヴァルマン2世が登場し、アンコール王朝を建国。真臘王国はその一部として新たな歴史を歩むこととなりました。

4-3. アクセス方法

サンボールプレイクックは、カンボジアの首都プノンペンと観光都市シェムリアップの中間に位置します。

シェムリアップからは車で約3時間、プノンペンからは車で約5時間かかります。

道路状況は比較的良好ですが、雨季には悪化することもあります。

現地ではオプショナルツアーが提供されており、日帰りで観光することができます。また、コンポントム市内にも宿泊施設があります。

4-4. 営業時間とチケット料金

サンボールプレイクックの営業時間は午前7時から午後5時までです。チケット料金は10ドル(約1500円)で、販売所では現金のみの受け付けです。

また、チケットを購入すると、遺跡群内の無料駐車場やトイレなどが利用できます。

チケットの種類価格 (US$)価格 (JPY)営業時間
1日パス$10約1,500円午前7時から午後5時

4-5. チケット販売所の場所

サンボールプレイクックのチケット販売所は、遺跡群の入口付近にあります。

遺跡群への入口は2つありますが、チケット販売所は北側の入口にしかありません。

南側の入口から入る場合は、事前にチケットを購入しておく必要があります。

チケット販売所の場所は、こちらの地図で確認できます。

↑のストリートビューが販売所になります。

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5. コー・ケー(Koh Ker)

コー・ケー(Koh Ker)

5-1. 基本情報

  • 世界遺産登録年 : 2023年
  • 場所 : プレアヴィヒア州
  • 建造 : 10世紀前半
  • 建造した人 : ジャヤーヴァルマン4世

コー・ケーは、カンボジアのプレアヴィヒア州にある考古遺跡群です。

10世紀にアンコール朝のジャヤーヴァルマン4世によって建設された都城で、一時期はアンコールの地より遷都されました。

しかし、王朝の内紛により、わずか20年ほどで放棄されたため、「幻の都」とも呼ばれています。

コー・ケーの最大の見どころは、高さ36メートルのピラミッド型寺院で、アンコール最大規模の建造物です。

他にも多くの寺院や建造物が点在しており、その多くはジャングルに覆われたままです。

コー・ケーは2023年にユネスコの世界遺産リストに登録されました。

5-2. 歴史的背景

コー・ケーは、10世紀前半にアンコール朝の王、ジャヤーヴァルマン4世によって建設されました。

ジャヤーヴァルマン4世は、先代王のインドラヴァルマン2世の息子ではなく、その弟か甥でした。

コー・ケー(Koh Ker)の歴史イラスト

そのため彼は、王位を簒奪するために反乱を起こし、インドラヴァルマン2世を殺害しました。

その後ジャヤーヴァルマン4世は、自らの権威を示すために、それまでの都ヤショダラプラ(現在のアンコール)から離れた、北東約100キロの地に、新しい都「チョック・ガルギャー」、現在のコー・ケーを建設しました。

コー・ケー(Koh Ker)の歴史イラスト2

彼は自らを「普遍的な王」を意味する「チャクラヴァルティン」と称し、インド神話に登場する神々と同等の存在として振る舞いました。

彼は巨大なピラミッド型寺院プランを中心とした都市計画を行い、多くの寺院や建造物を建て、自らの名前や称号を刻んだ石碑や彫像を各地に設置しました。

コー・ケー(Koh Ker)の歴史イラスト3

ジャヤーヴァルマン4世は、921年から928年まで在位しましたが、その後も彼の息子ハルシャヴァルマン2世が944年まで王位を継承しました。

しかし、ジャヤーヴァルマン4世の甥である、ラジェンドラヴァルマン2世が反乱を起こし、王位を奪還。ラジェンドラヴァルマン2世は都を再びヤショダラプラに戻し、コー・ケーはかつての繁栄を失いました。

その後もコー・ケーは時々修復や改築が行われましたが、その規模や重要性は失われていきました。

コー・ケーはジャングルに覆われ、長い間忘れられたままでしたが、20世紀になってから考古学的な調査が行われるようになりました。

コー・ケー(Koh Ker)の歴史イラスト5

しかしながら、カンボジア内戦の影響や地雷の危険などにより、コー・ケーの遺跡の多くは未だに発掘されていないか、破壊されています。

5-3. アクセス方法

コー・ケーは、シェムリアップから車で約3時間ほどの距離にあります。シェムリアップからコー・ケーへの交通手段は以下の通りです。

ツアー

  • シェムリアップからコー・ケーへのツアーは多くの旅行会社やホテルで予約可能
  • ツアーには通常、往復の車代やガイド代、昼食代込み
  • ツアーの料金は一人あたり約50ドルから100ドル程度

タクシー

  • シェムリアップからコー・ケーへのタクシーは、旅行会社やホテルで予約可能
  • タクシーの料金は往復で約80ドルから120ドル程度
  • タクシーは最大4人まで乗れますが、道路状況が良くないので快適ではない

バイク

  • シェムリアップからコー・ケーへのバイクは、自分でレンタルするか、バイクタクシーを一日レンタル
  • バイクレンタルの料金は一日あたり約10ドルから15ドル
  • バイクタクシーの料金は往復で約30ドルから40ドル
  • バイクは最大2人まで乗れますが、道路状況が悪いため、危険

5-4. 営業時間とチケット料金

コー・ケーの営業時間は毎日午前7時から午後5時30分までです。

チケット料金は一人あたり10ドルです 。チケットはコー・ケーの入口にあるチケットブースで購入できます。

チケットは当日有効で、コー・ケー内のすべての遺跡を見学することができます 。

チケットの種類価格 (US$)価格 (JPY)営業時間
1日パス$10約1,500円午前7時から午後5時30分

5-5. チケット販売所の場所

コー・ケーのチケット販売所は、コー・ケーの入口にあります。

入口はプラン寺院の南側に位置しており、道路沿いに看板があります。

チケット販売所では現金(米ドルまたはカンボジアリエル)しか受け付けていません。

また、チケット販売所ではトイレや飲料のサービスもあります。

↑のストリートビューが販売所になります。

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